ロックンロール(2)

凄く感動的なインタビュー話を見つけたので〜〜。

ブルーハーツハイロウズのギタリスト、現在クロマニヨンズでギタリストのマーシーが、イギリスのパンクバンド、クラッシュのジョーストラマーの死について語ったものです。

あまりに感動的な話なんで、自分もコピペさせてもらいます〜〜。

凄く感動できる話なので、是非ご一読を。

オレも、いつかヒロトマーシーに感謝の気持ちを伝えたいなー。






マーシージョー・ストラマーを語る


・どんなふうにジョー・ストラマーの死を知ったの?

「ちょうどそん時ツアーで大阪に行ってて、ホテルの朝刊で知ったよ。『え!?嘘だろ?』と思って。信じられない。だって、元気そうだったじゃん。その前にストーンズとかも見てたからさ。『60才でも元気だなあ、ジョーはまだ50だな。これからだな』と思ってたからさ。あまりにも突然だったから」

ヒロトとその事を話したりした?

「いや、あんまりその話はしなかった。ジョー・ストラマー死んじゃったね、みたいな。で、ライヴに出かけて、ライヴが終わって部屋に戻って来て、なんかふっと思った時に、涙が出たかな。うん」

ジョー・ストラマーマーシーの中でどういうアーティストだった?

「すごい理想的なロックンローラー。まず、最初にクラッシュ聴いた時の声だよね。ジョー・ストラマーのロックンロール・ヴォイス。63、64年頃のジョン・レノンに匹敵するぐらいの。僕にとっては理想的なロックンロールの声だったんだ」

・例えばピストルズとクラッシュってもういろいろ語り尽くされた感はあるけど、マーシーの中では、そのふたつを語るとするとどうなるの?

ピストルズはカッコよすぎなんだよね」

・ははは、うん、そうだね。

「それはそれですげえんだけどさ。で、なんかクラッシュはさ、カッコ悪いんだ(笑)。つっこまれやすいんだよね、クラッシュって。揚げ足すぐとられちゃうようなとこがいっぱいあってさ。発言とか歌とかにしても。でもなんか、そこが僕は好きだったりしたからさ。そんなクラッシュが。

ピストルズはもうできすぎのカッコよさ。隙のなさって言うか。ヴィジュアル面から楽曲からファッションから、トータルのイメージまでさ、すごいなっていうさ。だから、パンク=セックス・ピストルズっていう図式はもうそういう事なんだと思うんだよね。

でもそこでさ、やっぱり声なんだ。ロックンロール・ヴォイス。あとミック・ジョーンズのギターの音だったりさ。そういう、なんて言うのかな……僕にとってのロックンロールっていうのはさ、情緒的で感覚的な体験なんだ、常に。だからそこで理屈が入り込む余地がなく、まずドーンッとくるっていう、そういうものが好きなのね。

だからビートルズとかストーンズとか、それこそエルヴィスとかさ、エディ・コクランとかと同等の衝撃。ミック・ジョーンズのあのギターが鳴って、ジョーのあの声がそこに乗っかてればさ、もう僕は幸せだった。だから理屈もいいけど、やっぱり理屈じゃない部分っていうところが、僕は大事だったりするんじゃないかなと思うんだ。だからクラッシュってなんか、迷ってるじゃない、いっつも。ふっきられたらもっと楽なんじゃないのみたいな(笑)」

・そうだね。そこは思いっきり共感する?

「うん(笑)。だって常にあっちいったりこっちいったりさ。でも僕はさ、それって当たり前だと思うし。例えば今、『自分探し』とかさ『ほんとの自分』とか、よくいろいろメディアで見かけるけどさ、そんなのないじゃんって思うんだ、僕は。だからあっちいったりこっちいったりしてさ。はたから見れば一貫性がないとかフラフラしてるとか思われちゃうかもしんないんだけど。でもそれって僕は当たり前だと思うんだよね。そこで安易に答え出したりとかっていう事は楽な道だと思うんだよ、生きてく上で」

・そうだよね。パンクですら「僕は一生パンクでアナーキー
です」って言うのって楽で安易だよね。

「そうそう。そう決めちゃったらさ、自己を正当化するために一生懸命になっちゃうわけじゃない。どんどん閉じてっちゃうわけじゃない。それはすごくつまんないなと思う」

・実際のクラッシュ体験っていうのはどういう感じだったの、マーシーは。

「まずね、77年、僕が高校1年の時だったんだけど、その夏に草刈りのバイトをしてお金を貯めて、レコードいっぱい買おうと思ったの(笑)。で、いっぱい買って、夏休みの最後、8月の最終週にまだお金が余ってるから、もっかい新宿レコードにレコード買いに行って。で、ジェリー・リー・ルイスとか、サム・クックとかのLPを抱えてレジに行ったら、レジんところにシングル盤
が平積みになってたのね。゛ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン゛。ピストルズの。そのジャケットのインパクトで、とりあえずわけもわからず『これもください』っつって(笑)。

家帰って、それをターンテーブルに乗っけた瞬間ぶっとんじゃってさ。音が出た瞬間。『うわ!すげえな!』って思って。で、なんなんだこれは!?って。それで音楽誌とか見たりして、『なるほどね、パンク・ロックっていうんだ。これはすげえぞ。これはすごいロックンロールだ』と思って。これはほんともう50年代のエルヴィスとか60年代のビートルズのも勝るとも劣らない、70年代の僕がまさにリアルタイムで体験するすげえロックンロールだと思って。

それでまた雑誌見たらさ、ロンドン・パンクとか書いてあって、セックス・ピストルズ、クラッシュ、ジャム、ストラングラーズって書いてあって、『そうなんだ』と思ってさ。で、次は9月のお小遣いでなんかパンクのLP買おうと思って。で、パーっと見てた時にクラッシュの1stがあって。それもジャケットのインパクト。『うわ!かっちょいい!』と思って。で、買って帰って。『うっわー、かっちょいいなあ!』と思って。大貫憲章さんがライナーノーツ書いてて」

・いいライナーなんだよねえ。

「ロックンロール好きな子供がドキドキしちゃうような、すごいいいライナーだったじゃない。で、あのライナーを読みながら、何回も何回も聴いて。髪の毛切ったりね」

・(笑)。

「それを大音量でかけながら、チョキチョキチョキチョキ……」

・そっからパンクにどっぷり?

「そうそう、もうパンクしかねーよ!パンク最高だ!って」

・でも当時いなかったよね、パンク聴いてる奴なんか。

「いなかった。学校で1人もいなかった」

・キッスとかクイーンとかそういう感じじゃない。

「そうそう。キッス、クイーン、エアロスミスベイ・シティ・ローラーズとかね」

・俺も周りはそういうのばっかりで。同い年だっけ?62年生まれ?

「62年生まれ」

・じゃあ同い年なんだけど、ほんっと周りにいなかったよね、パンクは。

「いなかった。全然いなかったよ」

・それがまたパンクな気分をさらに増幅させて。「テメエらわかってねえな。これなんだよ!」ってさ。

「うん。それまでのリアルタイムのロックには全然興味持てなかったんだ、僕。だから50年代のロックとか60年代のビートルズストーンズ、フーみたいなのばっか聴いてたんだ。で、こんなのがいいなあなんて思ってさ。これすげえロックンロールなのに、なんで今こういうのがねえんだろうなって思ってたんだよ、1人で。この時代に生まれればよかった、生まれるのが遅かったって思ってたんだけど、それを全部ぶっ飛ばした。パンク・ロック。すげえロックンロール。『やったー!』みたいなさ(笑)。自分はなんにもやってないんだけどね」

・ははは。

「自分はただ大音量で部屋で髪切ってるぐらいなんだけどさ。『ざまあみろ!』みたいなさ(笑)」

・例えば歌詞とか、ジョー・ストラマーの思想みたいなとこに入れ込んだりはした?

「歌詞とかはそんなでもなかったかな。ただ、その姿勢ーーいいじゃん、やりたいようにやれば。自分でやれよみたいなさ。いわゆるDo It Yourselfみたいな姿勢は、もうすごく勇気づけられたかな」

・来日公演は行った?

「うん。行った行った。銀座のね、松屋かどっかに徹夜で並んで、チケットとって」

中野サンプラザだっけ?

「サンプラザ。いや、もう、圧倒的。だってもう、出て来るだけでいいんだもん。マカロニ・ウエスタンかなんかの曲が流れてさ、工事現場っぽくなってて、赤いサイレンが回っててさ。そこにバッと4人が出て来るんだよ。その瞬間でもう満足してたよ、僕は」

・あの日は確か、ジョーが前日に飲みすぎて二日酔いかなんかで演奏の途中でゲロ吐いたんだよね。

「そうそうそう。調子悪かったみたいだよね、ジョーは」

・途中で脇に引っ込んでゲロ吐いたりしてたんだよね。俺は、一番衝撃を受けたね。「うっわあ、ゲロ吐いてるよ!」って(笑)。パンク
だなあって。

「ははははは!」

・ツバ吐くってのは聞いてたけど、ゲロも吐くんだって(笑)

「(笑)キッスは血を吐くけど。パンクはゲロなんだって。いやあ、カッコよかったね。やっぱりね、ヴィジュアル的にも圧倒的にカッコよかったもんね、クラッシュって。ジョーの声も出てなかったし、ミック・ジョーンズはギターにわけわかんないエフェクトかけて。エフェクトかけすぎだよって(笑)」

・で、パンクとしてはだんだん失速してくじゃん、後半。そういうのはどう見てたの?逆にアメリカでは成功していくんだけど。それこそディスコ・ブームとあいまって、ディスコ・ヒット・ナンバーになったりしたし。

「ああ、゛ロック・ザ・カスバ゛とかね。いや、別に普通だったよ。いいじゃんいいじゃんって」

・さすがに『カット・ザ・クラップ』はきつかったでしょう。

「『カット・ザ・クラップ』はそうだね。『こりゃねえだろ』と思った。でも僕はミック・ジョーンズが抜けたってニュースを聞いた時に、『行くしかねえな』と思った」

・ ……え?

「いや、『行くしかないな』と思った、僕が(笑)」

・ははははは!

「ギター持って、ロンドン行くしかないかなと思って。けっこうマジに考えてたんだよ」

・だってその頃ブルーハーツじゃん。

「違う違う。83年だからまだブルーハーツ始めてないよ」

・そっかそっか。

「どうやったら連絡とれるかなとか、いろいろ考えてた。もしギタリストのオーディションあるんだったらそれに参加したいなって、けっこうマジに考えてた」

・面白い奴。さっき言ってたけど、ジョー・ストラマーと個人的にどうやって会ったの?

「それはね、最初のフジ・ロックにハイロウズが出さしてもらった時に、ジョー・ストラマーDJタイムっていうものがあるって聞いて。ジョー・ストラマーが来てるって聞いて、『そうなんだ。会えたらいいな』って思ってたんだ。で、ホスピタティ・ルームでうだうだビールとか飲んだりしてたらさ、いるじゃん(笑)。ジョーじゃん!(笑)。なんかブラブラしてるじゃん!暇そうじゃん!ツーって寄ってって、話しかけて、一緒に写真とか撮ってもらってさ。ファンだよ、ただの(笑)。

で、そん時は写真撮ってもらって、『ジョー・ストラマーがいたぜ!』ってみんなで話してたんだ。で、まだ眠そうにしてて、バルコニーにスッてジョーが1人で出てったから、僕はあとつけてって、そこでちょっと話をしたんだよね」

・何を話したの?

「それはもう、感謝の言葉。77年にクラッシュの1stアルバム聴いた時に、ものすごく感動したんだ。すごく勇気づけられたし、ちょうど15歳から20歳ぐらいのティーンエイジャーの頃に一緒に同じ時間をすごしてさ、方向みたいなのもちゃんと見せてくれたし、姿勢とかにもすごい共感してたし。だから『どうもありがとう』っていうことを、ジョーに伝えたんだ。そしたらジョーはさ、俺は人からそんな『ありがとう』なんて……。………(長い沈黙。泣いている)ごめんね。」

・うん、いいよ。

「…俺はそんなたいした奴じゃないって。そんなたいそうな奴じゃなくて……ロックロールが大好きなだけの男だよって、って……ポンポンって頭叩かれてさ、子供にするみたいに。『君がそんなふうに言ってくれるのはとっても嬉しいよ』っていうふうにさ……。それからジョーはさ、パーッと両手広げてさ、『こいよ!』みたいな感じで。……ずっと笑顔でね」

・そっか。それ以来会ってないの?

「会ってない。メスカレロスのライヴは何回か観には行ってるけど。そういうふうに個人的に話した事はないんだ。それ1回きり」

・でもあれだけの紆余曲折と闘いをずっとやってきて、しかもついこないだまでそれを現役で続けてて。なんにも答えは出してない人じゃん。だけども、やっぱそのジョー・ストラマーの在り方というか、ロックンロールの歩き方というか、これは絶対にいいものなんだなっていう事だけは思わせてくれるよね。

「うん。でもまさにそういう事だろうね。僕はただのロックンロール好きな男だよっつって」

・じゃあ、最後に、クラッシュの姿勢にすごく共感したんだ、感銘を受けたんだってジョーに告げたって話を今してくれたけど、それは言葉にするとどういう事なのかな。

「それは……自分でいろよって事だよね。いいじゃん。自分でいればいいじゃんっていう。自分の両足でちゃんと立ってさ。それと、今日、今、この瞬間を爆発的に生きるという事」

・今ハイロウズをやっていく中で、それは揺るがないし、すごく大きな部分となってる?

「うん。それ以来あんま変わってない気がするんだよね、自分でも」


rockin’on MARCH 2003
ジョー・ストラマー追悼特集の際のインタビューです。